ファショコン通信

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シムシンホソカワ(SHIM SHIN HOSOKAWA)

シムシンホソカワのブランド情報

  • 1998年に創立した日本のファッションブランド。
  • 創立者は細川伸(Shin HOSOKAWA)。細川伸は1949年、兵庫県神戸市に生まれる。メンズファッション専門学校を卒業後、アパレル会社に勤務し企画・デザインを担当。1979年に独立し、自らのブランドを始動。1984-1985 A/Wに東京コレクションにデビュー。1998年、ジョイックス・コーポレーションと商品企画を提携。
  • 1998年、東京南青山に直営店を開く。
  • 1998-1999 A/Wから「シム・シン・ホソカワ(SHIM SHIN HOSOKAWA)」をスタート。
  • ブランド名の由来は、「くさび、詰め木(SHIM)」の意。デザイナー自身の少年時代の記憶である線路のくさびと、自らのファッションにしっかりとくさびを打ち込むという、2つの意味を含む。
  • 2000年より、「イッツ・ア・パシュ」をスタート。若い世代に先進のアーバンスタイルを提案。

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19 thoughts on “シムシンホソカワ(SHIM SHIN HOSOKAWA)

  1. パシュが大好きでした。
    給料のほとんどをパシュにつぎ込んだ20代。
    シルエットが可愛くて、でもシャープで、
    カッコいいのに決まりすぎず普段着でもガンガン着れる。
    パシュラボでたまたま細川さんにお会いした時、
    『大ファンです!一生着ます!』
    って言ったとき細川さんは嬉しそうに照れてたのを思い出します。
    パシュがなくなり、シムシンホソカワを展開した時も浮気せず最後まで通い着てました。
    でもどんどん細川さんらしさがなくなっていくのが寂しさを感じたりもしました。
    青山のスーツも買いましたが、もう充分大人になってしまった僕らには着れなくなってしまった。
    また細川さんらしいパシュが着たいです☆
    本当に復活したら細川さんにお約束したように
    死ぬまでパシュ着ます!
    復活待ってます!☆

  2. 主観ですがPASHUは今でも格好良いと思っています。近未来を感じさせるデザイン・素材感など、私の中では特別なブランドでした。作業着をイメージさせる作品も多かったですが(笑。そんなブランド、今は無いのが残念です。少し先ですがPASHUテイストの服造りをしようと思っています。乃木坂LABO懐かしいですねぇ、驚く程カッコ良いboutiqueでしたね。

  3. >2011.05.08(Sun) 21:49:23 乃木坂LABO
    私も同ブランドで販売をしておりました。
    懐かしいですね。

  4. B5サイズの皮製品、今でも愛用中。毎年磨いて現役です。中は6穴ファイル付き!
    今日はメンズニコルのセーター着てる元ハウスマヌカンなりぃ。
    「DCブランド」って言葉を分からないとネット検索した若者と今日は一緒だった40代後半ざんす。
    良い物は、個人宅に残ってます。
    売れる売れないは、時代だと。
    ご時世だと思いますが。
    良い物には、お金を使う私です。

  5. 細川さんって今、ブランド展開していますか?
    PASHUも細川さんの手で復活できますか?

  6. ?パシュ倒産時、このブランドの販売に携わっておりました。寝耳に水のような突然の倒産に驚いたものでした。うろ覚えですが当時同社が展開していたパシュのグレーラベルというスーツブランドがらみで徳山だか徳永だかなる人物にはめられて不渡り出すはめになったとかいう手紙を細川さんからもらった記憶があります。

  7. Pashuはカッコ良かったです。
    26年も前かな。スカイブルーのパンツがお気に入りで、ハネムーンにも着て行ったので、旅行写真二はPashuがたくさん写っています。
    また、あの嬉しい気分になるPashuに包まれたいものです。

  8. 昔、丸井などでpashuの販売員をしてました。
    なつかしいです。5タックジョッパーズ大好きでした。
    真似する大手ブランドもありました。

  9. 私はものすごく分量のあるポリエステルのコート持ってます。80年代半ばに購入したもので、10万円くらいだったかな。デザイン的には今となってはとても着られないけど、素材感など大好きで、捨てられずにいます。最近の細身のデザインで、仕立て直せば2着コートができそうなくらいの分量です。細川さん、どうか復活してください。あのころのファンはもう40代後半から50過ぎくらいでしょうか。ギャルソンかワイズくらいしか着るものがない中年に向けて、もう一度挑戦してもらいたいものです。

  10. とにかくPASHUが大好きでした。
    学生時代に一生物と思い26万だして買ったPASHUの
    レザーのハーフコート、今でも大事に着ております。
    細川氏の復活を切に願います。

  11. TUBE(French Line)というブランドは1980年代では希少であったと思われる。ブランドロゴを一切表面にとりつけなかったこと、ベーシックなシルエット、手作りを強調していたこと、青山1店舗での直営販売。
    私も、このブランドだけには特別な思いをよせ青山店に足を運んだ思い出がある。もちろん、お気に入りの一着を入手した。PASHUとは対極にあったのだが、彼斉藤久夫氏こそが時代を先読みしていた男だったのかもしれない。

  12. 今まで、おおげさにさまざまな角度からPASHU、YOSHIYUKIについて想像で的外れな検討してきたのだが、結論は1980年代の国民の娯楽の担い手となり勤労された、細川氏、小西氏他ベテランデザイナーに「ありがとう」と感謝の意を伝えたいところである。また、日本を動かす中枢部の方にも同時に「ありがとう」と伝えたい。
    また、価格、デザイン、ロゴ、生産地、売り上げ、販売方法等についての検証は全く筋違いであったことを明記しておきます。

  13. PASHUと類似のYOSHIYUKI KONISHIブランドについてもここでみなさんで検討していきましょう。
    YOSHIYUKI KONISHIブランドの生命線はHAND KNITだったことはいうまでもあるまい。
    突然ですが、1995年にYOSHIYUKIが東京コレクションのサンプルを顧客に割安で販売する試みがありました。また、販売員が顧客の自宅まで商品をもっていっての販売方法もとりました。
    みなさんこの事実をもう一度考え悩みましょう。

  14. 特定の顧客のみに認められるブランドに関しては商品立ち上がり時期に全商品を公開することをさけ、また商品カタログをつくることなく、ショップへ商品を時期を分散させて入荷させる方法もある。このような方法を採用しているブランドが現に国内に存在する。これなら、パターン数が多ければやりくりできることになる。入荷サイズもある程度想像できる。

  15. 細川氏の盟友(?)YOSHIYUKIによるYOSHIYUKIブランドについて今回も一部紹介していこうと思う。2004年3月頃YOSHIYUKIブランドは売却されたわけだが、その約4年ほど前にYOSHIYUKIブランドショップでは「YOSHIYUKIブランドの洋服のパターン数が最近減少したためこれでは商売にならない。」こぼしていたことを思い出す。
    このことから、売れ筋商品、枚数はある程度固定していたのではないか、また大部分の商品は売れ残ってたのではないかと推測される。みなさんはどのようにおもわれますか。

  16. 細川氏のパシュと同系統のYOSHIYUKIについてここで紹介しようと思う。過去に他の板で何度かふれてきたのだが、YOSHIYUKIブランドが方向転換してきたのは1994年ではないかと私は考えている。光物を極力おさえるようなデザイン、モチーフのかわいらしさ、海外生産に一部商品を切り替えたことなどがそれを示唆している。
    その理由に極度の売り上げ不振があげられる。
    それでは、どうして売り上げ不振をまねいてしまったのか。それは、バブル崩壊後の不景気、YOSHOYUKIの洋服があきられてしまったことなどがあげられるでしょう。ただし、最大な原因はそうではなかったのです。顧客にあったのです。ある一部の顧客にYOSHIYUKIブランドが受け、いやあえてそういった顧客に着られたのかもしれないが、その影響で一般客離れがすすんだことにある。それではどうしてそういう現象が生じたのか。内部事情漏洩問題があったのではないか私は推測している。HAND KNITのからくり、大量生産しなくてはならなかったわけ、素材についてなど。
    したがって、1994年後YOSHIYUKIの心境は「まいったな。もう、笑うしかないじゃないか。」と半ば自暴自棄になったとも思われる。洋服のデザイン、製造もギャグに走り、最後には全社員を解雇しブランドを売却してしまった。
    この漏洩問題の関係者が、どのラインの人物かは特定できない。しかし、社員に未練はなかったであろう。
    YOSHIYUKIの洋服造り、価格設定などに対するずるがしこさ、いいかげんさ、本人自慢の発想力が災いしたことは間違いないであろうと思っている。
    以上YOSHIYUKIについての考察です。パシュ倒産問題についてご存知のかた御教示願います。

  17. 細川氏が三越のドーランドハウスブランドのデザインに携わっていることは認知していた。また、ドーコ株式会社との業務提携で青山にパシュが販売されていることも知っている。
    今後細川氏は自身で会社経営し自身のブランドを立ち上げることができるかということにわれわれの焦点は移ってきている。1980年代~1990年前半の前衛的デザイナーとしてアヴァンギャルドなコーディネイトでファション界をリードしていた頃をなつかしくおもっている団塊世代のかたがたもおおくいるであろう。
    関西特有の派手な色ずかいかもしれないが。
    最後に細川伸氏と小西良幸氏との関係について。2者はお互いライバルでありながらファション界をリードしてきた仲で、馬があい現在親交があるのかどうかご存知のかた御教示ねがいます。

  18. 細川氏は、東京に居られますよ!
    神楽坂に事務所があり、三越のファッションアドバイザー等もされています。

  19. PASHUは非常に遺憾であるが、倒産してしまった。
    PASHUの元オーナーデザイナー細川伸氏は、ジョイクスコーポレーションとの業務提携によりSHIM
    SHIN HOSOKAWAブランドを発表したわけだが、当ブランドもいつしか消失してしまっている。非常に短命なブランドだったわけだ。
    現在、存続するのは、洋服の青山で販売している
    ライセンスブランドのPASHUのみとなっている。
    風の便りで、細川氏はイタリアでほそぼそとデザイン活動しているとのことだ。
    最新情報あればご一報ねがいます。

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